現代文・小論文のネタ 其の六

〈情報〉

インターネットが普及し、ヤフーやグーグルなどのメディアが絶大な権力を持っている今日の情報化社会において、逆説的に「人と人とのつながり」の重要性が最新の理論から浮かび上がってくるというのは、なんとも刺激的な研究です。

『人と人のつながり見直せ』
近所と遠距離両立

一橋大学教授 
西口 敏宏(にしぐち としひろ)先生

ネットワークの構造重要

個人・組織存続の新陳代謝できず

 職場や家庭で人がふと陥る場違いな感じ、業績不振の企業、没落する地域経済などは、単純化すれば、人と人のつながり方のまずさに原因があることが多い。つながり方のトポロジー(構造)が悪化しているのだ。知らず知らずのうち、日常の決まりきった接触法や、身のまわりの最適化だけにとらわれ、個人や組織として存続するのに不可欠な新陳代謝ができなくなっている。しかもこうした変化に気がつかない。

 社会システムの新陳代謝を促す原動力の一つは、個人を取り巻く「近く」のネットワークと、ふだん意識せず接触も少ない「遠い」ネットワークの間に、情報伝達経路のつなぎ直し(リワイヤリング)によって少数のバイパス(う回路)を設けることで、どっと流入する「新鮮な情報」にある。だが、遠くからの情報量が多すぎても、それを受け取る個人と近隣者との関係が疎遠すぎても、情報は生きず、どこかで途絶えてしまう。つまり、遠距離交際と近所づきあいの、絶妙なバランスが大切なのだ。

 個人や組織がいかに優れていても、情報へのアクセスと処理能力は限られている。世界一の富豪も、世界最大の企業も、利用できる資源には限界がある。何人(なんぴと)も、一切を知り、すべてを所有し、万物をコントロールすることはできない。

成功のカギは運の「構造化」

 他方、何の変哲もない個人、組織、地域が、顕著に繁栄する場合がある。特に恵まれた環境になく、幸運が続くわけでもなく、皆と同じく悩み、失敗し、挫折し、試行錯誤を繰り返しているはずなのに、なぜか困難を乗り越え、栄えてしまう。その秘密は何か。単なる偶然なのか。仮に偶然の助けがあったとしても、その背後に何か法則性のようなものがあるのか。たとえ法則性がわかっても、実際どの程度までコントロールできるのか。

 最新ネットワーク理論はこれらの問いに新たな展望を示す。結論を先取りすれば、人や組織を取り巻くネットワークのトポロジーが重要だということだ。しかもそれは可変的で、個人、組織、地域が、固有の認知限界と資源の制約を越えて反映する秘訣は、スモールワールド(小世界…近所づきあいと遠距離交際が相互にリンクしあっている状態 筆者注)・ネットワーク化にある。

 いわゆる運が良い人や、成功し続ける組織をよく調べると、「運が構造化している」ことが分かる。人や組織の運は、それを取り巻くネットワークのトポロジー、つまり、隣の友人や遠くの知人(ノード=結節点)と、ネットワークを通してどうつながっているかという、構造特性に依存する部分が大きい。

 大切なのは、個人が誰を直接知っているかより、その誰かがあなたの知らない誰を知っており、その人がさらに他の誰を知っているかという点だ。しかも五感でとらえられる範囲しか分からない人間固有の認知限界により、本人たちはそれに気がつかない。だからこれは運だと錯覚する。

 しかし、実際に意識しなくても、成功する人や組織は、遠距離交際と近所づきあいのバランスを絶妙に保ちながら活動している場合が多い。濃密な近所づきあいを維持しながら、他方、触手をはるか遠くへ伸ばし、情報伝達経路をつなぎ直して、通常なら決して結びつかない遠距離のノードとも、短い経路でつながっている。そして、そこで得られた冗長性のない情報を巧みに利用する。これこそが、近年グラフ理論に基づくシミュレーションで解析された、スモールワールド・ネットワークの魅惑的なメリットである。つまり、遠距離交際と近所づきあいの良いとこ取りなのだ。

(以下省略)…一部ルビ等、筆者補う。

『日本経済新聞』 2007・10.18(木)「経済教室」

わたくし、このブログの『しり上がり通信』で、お神輿を担ぎながらよそ様の共同体に足を踏み入れていく「現場」をリポートしてきました。最新の情報理論は、私にはわかりません、が、人様とつながっていくことの重要性は、まさしく「身をもって」学んできました。西口先生のご意見がどうしようもなく「腑に落ちる」のです。

で、もし、わたくしたちが四次元的な思考法をするなら、時間を、紙を折るようにペタンと折りたたむなら、最新の情報理論と、たとえば北方モンゴロイド(北米インディアンやオーストラリアのアボリジニ)たちが伝えた「グレート・スピリッツ(精霊)」とが、軌を一(きをいつ)にして重なっていきます。「人様とのつながりを大切にしろ」「自然や精霊とのつながりを大切にしろ」、それが先生のおっしゃる「スモールワールド・ネットワーク」なのではないでしょうか?

「袖振り合うも他生(たしょう)の縁」

仏教では、それを「縁」と呼んできました。

「海―陸」「山―里」「空―地」を媒介し、「人―自然」を媒介し、「人―人」を媒介してゆく、それをわれわれ日本人は「神」として表象してきました。あちらこちらで御神輿を担がせていただいて気がついたのですが、お神輿って、そばでよく見ると、「空―大地―海」が彫刻され、それらをつないでいる柱に竜が彫られていたりします。てっぺんには異空間から豊穣をもたらす鳳凰が飛んでいます。ムムム…なんと優れた「媒介者」の表象ではありませんか。

くしくも先生がおっしゃっている、「五感でとらえられる範囲しか分からない人間固有の認知限界」を越えていく、その「媒介していくモノ」を「神」として表象してきたのではないでしょうか。数年に一度、「情報伝達経路のつなぎ直し(リワイヤリング)」するために神が訪れる、それが「祭り」の本来の意義なのでした。

佃島 住吉神社大祭 町神輿