大学入試 基礎講座 『現代文・小論文の基礎』 其の一
「現代文・小論文」 〈そもそも…〉
たとえば、クラブ活動。
ずっと一緒にがんばってきた友達が、ある日突然
「クラブ、やめる…」
と言ったとします。私たちは当然
「えっ、何で?」
と聞き返しますね。
「あ、そう」
じゃ、あまりに友達がいがないですよね。
実は、このようなところに意見文の基礎がかくれています。
私たちは、日常「あれ?」と問題に出くわすと、必ず「何で?」と問いたくなります。
一休さんに出てくる「どちて坊や」ではありませんが(古いか?)、日常は「問い」に満ちています。
それなのに、なんら問題意識も持たずに「あたりまえ」だと思って過ごしている人に問題を投げかけるのが、意見文のプロ、評論家の方たちなのではないでしょうか。
だから「自明(あたりまえ)」ということばが、評論文でよく批判の対象になっていますね。
ちなみに、意見文というのは基本は三点で構成されています。
・問題点は何か?
・結論の根拠は何か?
・結論は何か?
いいかえれば、「問題点」「論証」「結論」の三点からなっています。
基本的には「問題点は一点」「それに対する結論も一点」です。その結論一点にむけて論証がなされます。
センター試験や、早稲田大学の国語など、よ~く分析してみてください。基本的にはこれら三点をもとに作題されています。
傍線部にぶつかっては「?」立ち止まる。
設問で聞かれて「?」考えるではいくら時間があっても足りません。
現代文の勝負の分かれ目は、実は設問以前に、どれだけ本文の要約ができているかにかかっています(例外もありますが…)。
センター試験の「問六」が、ほぼこの要約力を問う問題です。
早稲田大学も必ず要約の問題を出します。いずれにせよ、配点が高いことにかわりありません。
それでは、「要約力」はどのようにしたら身につくのか?
あっさり言ってしまえば、近道はありません。
あるとすれば、普段から上記の三点を「考えるクセ」をつけることでしょう。
朝のニュースを見て、電車のつり広告を見て、友達とケンカして、「どちて?」「どちて?」と問いを発し続けることではないでしょうか。
上記の例で言うなら、「クラブ活動という問題について」「やめるという結論」「それは何で?」と、論証を求めているわけです。
そもそも、現代文の設問だって、本来はより深く本文を読解させるべく、ツッコミを入れてくれているはずなのです。
東京大学の問題などその典型だと思います。
中には勘違いしてやたらに虫食いにして、本文そのものが読解できない、なんてムチャクチャな問題を出す大学もありますが、もし、出題者にとって、それが「自明」なものとして前提とされているなら、私たちはそこにツッコミを入れなくてはいけませんね。